
浅草花やしき未来事業部の穂積亜紀さん
株式会社 花やしき未来事業部の穂積亜紀さんにお話しを伺いました。本インタビューは平成27年(2015)6月に取材したものです。
浅草花やしきの歴史について
Q: 日本最古の遊園地である、浅草花やしきの成り立ちと変遷についてお話しください。
まず嘉永6年(1853)に花園と書いて「かえん」と呼んでいるのですが、花園として誕生したのが始まりです。造園等を手掛けていた森田六三郎が浅草寺の土地を借り受けて開園したのが始まりです。
Q: 場所は現在とは異なっているのでしょうか。
今より広かったようですね。花やしきの歴史年表からは、現在は1860坪なんですけれども、開園当時は2400坪(約8000平方メートル)あったという事です。六三郎自体が、牡丹や菊とか、そういう花細工が得意だったようで、そういったものを展示していたと聞いています。
Q: 奥山の界隈は演芸や催しで賑わっていましたが、その一環だったのでしょうか。開園当初は植物園だったそうですが。
それを花園と呼んでいるんですけど、植木茶屋とも呼ばれていたようですね。お茶を飲みながらお花たちを愛でるというか。やはり上流階級の方々の憩いの場であり、庶民の方も多く入れるような、今でいう公園のような、そういったものだったと聞いています。
Q: 当時と現在では、お客さんの流れの構造は変わりましたか。
花園当初の写真からは、現在の浅草門が入園口ではないかと思われますが、浅草寺から花園へと入園されていたのではないかと思います。現在でも、浅草寺の境内からこちらへ来られる方も多くおられます。
Q: 昔の写真や絵はがきを拝見すると動物園もあったようですが、いつ頃でしょうか。
明治の37年(1904)に大阪で開催された博覧会があり、当時の花屋敷の経営者が博覧会で展示された動物を買い受けて、展示をしたのが始まりです。それ以前にも珍しい白いカラス等の珍鳥の展示はあったそうですが、本格的に動物の展示を始めたのは明治の後期からでしょう。昭和初期の園内の地図を見ますと、本格的な動物園として象、熊、虎、豹、そういったものを展示していたようです。花やしきは、日本の動物園の発祥の地とも言われています。
Q: 現在のような遊園地になったのはいつ頃ですか。
遊園地として再開したのは、第二次世界大戦後です。関東大震災時には、当時の花やしきを避難所として使用せざるを得ない状況になり、そのため動物を薬殺せざるを得なくなりました。そのような歴史もあり、園内に鳥獣供養碑が建立されています。
その後の第二次世界大戦時には閉園を余儀なくされました。関東大震災時には、浅草界隈の多くの建物は焼失してしまいましたが、園内には唯一建物が焼け残っていたようです。
Q: 上野動物園も明治期に開園していますが、上野と浅草で交流はあったのでしょうか。
きちんとした動物園として開園されたのは上野動物園が最初ですが、展示という意味では当園の方が早いでしょう。上野動物園でシャム王国(現タイ)から寄贈され35年間飼育されていたアジア象は、後に花やしきに譲渡されました。このような交流があった事と思います。
Q: 奥山の町並みの今昔の変化はあるのでしょうか。
この界隈も、少しずつですが整備されていますが、浅草寺の寺領が7区に分けられた時には、当初は花やしきは六区に入れるという話があったようです。しかし、花やしきは現在と同じ場所でやりましょうという事になりましたので、現在の六区となるブロードウェイ通りとはちょっと離れた所になりました。
Q: 現在は、花やしきは浅草の五区になるのでしょうか。
花やしきは区には入っていないのです。ただ区分としては当時は六区に入るところだったようなんですけれども。
Q: 花園当時の面影は園内に残っているでしょうか。
花園そのものの名残りという訳ではないんですが、専門の園芸チームが現在でもおりまして、園内の植物や花を整備しています。「花屋敷」の名残りといいますか、園内に数千種類の花や植物があり、常に旬の手入れしたものを展示しているので、花園としての名残りとも言えるでしょう。
Q: 花やしきの入園口等の外観も、現在の他の遊園地と異なって大変懐かしい感じがしますが、映画のロケ等でも使われているのでしょうか。
古いものでは、俳優の佐野史郎さんがデビューしたての頃の「夢みるように眠りたい」(1986)でしたか。この映画は、おそらく白黒だったと思いますけれども、それは花やしきが舞台となっています。(右段に続く)
最近では、映画「トリック」(2002)ですね。冒頭の仲間由紀恵さんのマジックのシーンは園内にあります中央のフラワーステージでお撮り頂いています。本シリーズの最終版まで使って頂いています。
また蜷川実花さん監督、沢尻エリカさん主演の「ヘルタースケルター」(2012)も屋上のシーンで使って頂いています。いずれにせよ、園内にありますシンボルタワーと言われている「Beeタワー」というアトラクションの鉄塔に「花やしき」と文字の入った鉄塔を使って頂く事が多いですね。
Q: 映画をご覧になって見学に来られる方は多いのですか。
映画だけでなく、テレビ等でお使い頂いた後に、ファンの方が見に来られるという事が多々あります。
Q: 映画と同じシーンで写真撮影をされるのでしょうか。また、他にもロケ等の要請も多いのですか。
そうですね。映画のあのシーンで主人公が座った椅子だとか、飲んだ飲料がどこにあるのかとか、質問は多々ありますね。特にそのような事はお知らせしていないのですが、私どもが同行してガイドしていますので、分かる範囲でお答えして楽しんで頂いてます。
テレビの取材もありますし、またアニメ等で使って頂く事も多いですね。アニメ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の作者の秋本治先生には何度か来園頂いていて、つい先日も花やしきのパンダカーというメロディペットを連載で取り上げて頂いています。その他には漫画「稲中卓球部(行け!稲中卓球部)」では、主人公たちがパンダカーに乗っているシーンが描かれたところ、同じような乗り方をされる方も多くおられます。最近ブームとなっているアニメ「ラブライブ!」でもロケに来て頂いて大変詳しく紹介頂いたので、それが放送されるとTwitterで盛り上がったり、再放送されればTwitterで盛り上がったりしているとの事です。
Q: 花やしきのどの辺りが絵になるのでしょうか。
先ほども申し上げましたように「Beeタワー」がシンボルですが、他には浅草門があります。平成18年(2006)に、花やしき通りの整備の際に江戸町風の建物に変えまして、情緒あふれる門構えになりました。最近では、あの門を取り上げて頂く事も多いですね。一般の方は2つの入園口のどちらからもお入り頂けるんです。


Q: 花園当時は浅草門から入場されたのでしょうか。当時の写真では、凌雲閣も近く、池もありますね。
定かではありませんが、当時の写真を見ますと、浅草門辺りではないかと思われます。もうひとつの入園口がありますが、こちらは凌雲閣をもじって笑運閣と笑うという字をつけて笑運閣ゲートというのがありますので、その辺りだったかとも思われますね。
園内には今も池はあります。おそらく昔とは違うかと思いますが、奥山をイメージして「しあわせ橋」という橋が架けられて、その後に滝が流れているんですね。これは日光の風景を模したようで、当時の広告物に「日光を見よう」というようなものも残っています。そのような遊び心は昔からあったようで、奥山を模した山の裏は昔は登る事が出来ました。今は一般のお客様はお入り頂けないんですけけれども、そういった遊び心あふれるものは今も名残りがあります。(次ページに続く)

浅草花やしき未来事業部の穂積亜紀さん