2014年2月21日掲載
2014年2月21日掲載
匠のまちを歩く

篠原 正義さん (江戸風鈴製作師)

しのはら まさよし

大学卒業後、一度は電気機器の販売会社に就職するも家業である江戸風鈴制作師となる。各国のジャパンフェアに出店するなど、国際的な活動も展開。1990年に独立し「篠原まるよし風鈴」を開業。伝統を守りつつも独自のアイディアで現代の文化や若者にもなじみやすい作品を多数発表し、江戸風鈴を継承している。


 


 

篠原正義さん
 
画は風鈴の内側から描かれる。細かな作業に、職人の技が光る。
 
昔からのデザインに加え、オリジナルの作品も多い。

江戸風鈴とは

 
篠原さんの父儀治さんが先代から受け継いでガラス風鈴が江戸時代から作られていたことから「江戸風鈴」と名付けています。現在、江戸風鈴を製作するのは「篠原風鈴本舗」と「篠原まるよし風鈴」の2軒のみ。風鈴の起源は中国にあり、竹林に下げて風の向きや音の鳴り方で物事の吉凶を占う道具が進化したものと伝えられています。

江戸風鈴製作師を続ける理由とは

 
この仕事じゃなくて他の仕事でも同じでしょうが、家族が毎日遅くまで働いているのを見たら、どのような仕事でもやったと思います。たまたまこの仕事だったです。でもやっていくうちにやっぱりどんどん好きになっていくんですよ。 正直なところ、僕自身は25歳になっても30歳になっても、他の仕事やっても何とかやっていけるかなと思っていて、とにかく手伝いでもしておこうという考えで始めたんです。 でも25歳くらいの時に冷静に考えたんです。周りを見たらこの仕事をやっている所がなかったんです。そこで絶対にこの仕事をやるしかないなっていう意識が生まれたんですね。

江戸風鈴製作師になるまで

 

幼い頃から風鈴製作師になろうと考えていらしたのですか。

 
 いや、幼い頃は仕事を手伝うという事に抵抗がありましたよ。 中学生の頃は本当に嫌でした。でも高校くらいの頃からは、ある程度やらなきゃいけないのかなと考えるようになりました。帰宅してから見ると、両親が夜の8時9時まで、夏には12時頃まで仕事をしていたので。
 

会社を辞めて江戸風鈴製作師になられたきっかけは何でしたか。

 
 中学生の頃からずっと手伝ってはいたんですよ。ただ、兄弟2人で継ぐ必要はないんじゃないかって思って就職したんです。でも、同じ家に住んでいて帰ってくると仕事をしているんですよ。12時くらいまでずっと。自分でこの仕事に入る前にいろんな事を考えたんですよ。よく考えたらこんだけ家に帰って来て忙しいのに他の人の仕事を手伝うことないじゃないかと思って、仕事を辞めたんです。
 

職人という仕事については、どのように考えていらっしゃいますか。

 
 職人は昔から好きなんですよ。家に他の職人さんが出入りする機会もあったし、両親の姿をずっと見てきましたからね。この仕事やらなかったら、何か最終的には職人になりたいという気持ちはありました。だから職人はなっても違和感はなかったし、逆になりたかったですね。 
 

作品について

 

年にどれほどの作品を製作されるのですか。

 
 ガラスを作って、絵を描いて、だいたい一年間で1万2000個。ただ糸付けや箱詰めは、それに関わる人が他に3人います。形を作って絵を描くっていう所に関しては、一人で1万2000個程は作っています。
 

デザインのバリエーションはどの程度ありますか。

 
 無限にありますよ。描こうと思えば何でも描けますから。時間のあるときならば、頼まれたものを作ります。
 

オリジナル商品を数多く発表されている理由は何ですか。

 
 ジャパンフェアで海外に行った事が、きっかけになっています。海外では風鈴を表に飾るっていう意識が全然なくて、室内に飾るんですよ。それから、同じジャパンフェアで畳屋さんに聞いた話もヒントになりました。海外の人が畳の縁(へり)の部分を1mだけ買って、腰にまいたり髪に巻いたりしてるんです。向こうの人からしたら、なんでこんなにきれいな物を畳にだけ使うんだという考えがあるみたいです。それを見て、良い物だったら伝統だけにとらわれないでもっと使ったら良いじゃないかと思い、ピアスやストラップも作りました。
 

他に新しいアイディアにはどのようなものがありますか。

 
 風鈴は、これまでやはり年配の人が多く買っていたんです。若い人はほとんど買わなかったんです。そこで小さくて値段が安くて可愛い物と思ってすずらん型を作ったりしました。それから、今は軒下のない家が多いので、室内でも飾れるように卓上型も作っています。

 

篠原さんにとっての江戸風鈴製作師とは

 

篠原さんにとってこの仕事とは何ですか?

 
 この江戸風鈴の技術を残す、家に伝えられた伝統の技や絵柄、そして後に伝える事、これも大事な仕事です。 道楽で仕事をしているのではないですから、当然お客さんに喜んでもらえて、「これならお金を出しても良いですよ。」という商品を作っていく。そして生活もしていける。(食っていける)自分だけが満足したらそれは趣味になってしまいます。買っていってくれるお客さんがこの値段で買って満足してくれるっていうのが仕事ですよね。安いからって手に取る物でもないし。仕事は本音をいうと食べていくっていう事です。でもそれに伴って、人に喜んでもらえるのは一番良い事ですよね。それが適った場所だったんです。今は、少しでもたくさんの人が「良いね~っ」と言ってくれるような商品が作れるように努力しています。それで幸せを与えられたら良いかなと思います。これが「プロの仕事だね」と言われるように。また、環境を守りつつ新しいものも作っていきたいですね。

篠原正義さん
 

画は風鈴の内側から描かれる。細かな作業に、職人の技が光る。
 

昔からのデザインに加え、オリジナルの作品も多い。

 

江戸風鈴とは

 

 
篠原さんの父儀治さんが先代から受け継いでガラス風鈴が江戸時代から作られていたことから「江戸風鈴」と名付けています。現在、江戸風鈴を製作するのは「篠原風鈴本舗」と「篠原まるよし風鈴」の2軒のみ。風鈴の起源は中国にあり、竹林に下げて風の向きや音の鳴り方で物事の吉凶を占う道具が進化したものと伝えられています。
 

江戸風鈴製作師を続ける理由

 

 
この仕事じゃなくて他の仕事でも同じでしょうが、家族が毎日遅くまで働いているのを見たら、どのような仕事でもやったと思います。たまたまこの仕事だったです。でもやっていくうちにやっぱりどんどん好きになっていくんですよ。 正直なところ、僕自身は25歳になっても30歳になっても、他の仕事やっても何とかやっていけるかなと思っていて、とにかく手伝いでもしておこうという考えで始めたんです。 でも25歳くらいの時に冷静に考えたんです。周りを見たらこの仕事をやっている所がなかったんです。そこで絶対にこの仕事をやるしかないなっていう意識が生まれたんですね。