2009年3月1日掲載
2009年3月1日掲載

鬼平は、浅草・深川・本所界隈を歩きました。


「鬼平犯科帳」シリーズの数々

年表について

 これは池波正太郎の主な長編作品・連載作品の年表です。これを縦に見ていただくと、例えば昭和49年(1974)ですが、49年のこの緑色の辺りは「鬼平犯科帳」ですね。そして「剣客商売」、「仕掛人・藤枝梅安」です。(右段に続く)

 その他に同年には「男振」という小説、そして「真田太平記」も書いている。その他にエッセーも書いています。ですから、一番多い時期は7、8本の連載を抱えていました。(下段に続く)


大江戸絵図について


 これが、大江戸絵図です。これが江戸の町全体ですね。ここが隅田川。ここに緑とか紫などの色んなマークが付いていますね。これは、鬼平犯科帳、剣客商売。仕掛人・藤枝梅安の舞台となっている場所を江戸図の中に落とし込んでいるんです。これが割合ご好評をいただいておりますね。

Q: これは天保年間の地図ですか。

 おおよそ、現存している大江戸図にしても、切絵図にしても江戸末期の幕末に近いもの、その頃に印刷技術と言いますか、一番発達しているんですね。だからほとんどがその頃のものなんです。ですが、鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛人・藤枝梅安の時代はもうちょっと前の頃なんですね。安永、寛政、天明年間ですね。だからこの切絵図の五十年から百年程前なんですが、江戸の町は大まかには変わってないんですね。

Q: おおよそこの絵図あたりから想像できますか。

 大体、想像できますし、その詳細には変わったとかそういうことはあるかもしれませんが、現代のように大開発がされるってことはまず無かったですから。

Q: 長谷川平蔵が住んでいたのはこの小川町のあたりですか。

 これは久栄さんの実家で、ここがまず長谷川平蔵の役宅。ここに清水門というのがあって、清水門の外、今これがどの辺かというと、千代田区役所があるあたりですね。清水門は今でも残ってますから。

Q: 長谷川平蔵は、元々千代田区に居られた。

 いや、そうじゃない。これは池波さんの創作です。史実に基づいた長谷川平蔵宅はこちらの本所界隈にありました。池波さんは、この辺り、現在の墨田区辺りを中心とした物語を書いているわけですね。

Q: おそらく、この一帯を管轄していたわけですね。

 ただ、池波さんは聖天町の生まれだったから、この近辺ですね。これはもう数限りなく登場しますね。(右段に続く)


「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」大江戸繪圖

 


今戸・箕輪・浅草繪圖

 
Q: おおよそ、皆さんがまち歩きをされるのもこの辺りですか。

 そうですね、それに、本所とか深川とか、ただこれを見ていただくと、あちこちに印がついていますね。江戸中を書いたことは確かですね。ただ、やっぱりメインとして活躍するのは浅草であり、深川であり、そして本所ですね。やっぱりこの辺りが一番好きなところであったのでしょう。(次ページに続く)


池波正太郎記念文庫では、池波正太郎自筆のスケッチを添えた一筆箋やポストカードなどが販売され、池波正太郎や鬼平犯科帳のファンの好評を博しています。その中でも、「江戸古地図でみる池波正太郎の世界、鬼平・剣客・梅安の舞台」は、それぞれの小説の舞台となった地を訪ねるまち歩きのファンが必ず携帯するほど好評です。

「鬼平犯科帳」シリーズの数々

 
池波正太郎記念文庫では、池波正太郎自筆のスケッチを添えた一筆箋やポストカードなどが販売され、池波正太郎や鬼平犯科帳のファンの好評を博しています。その中でも、「江戸古地図でみる池波正太郎の世界、鬼平・剣客・梅安の舞台」は、それぞれの小説の舞台となった地を訪ねるまち歩きのファンが必ず携帯するほど好評です。