2007年11月1日掲載
2007年11月1日掲載

国立科学博物館に、江戸の科学を発見。


日本館「自然をみる技」展示室

 国立科学博物館は、動物・植物・地学・人類・理工学の五つの研究分野から成り、展示については様々な動植物に関する資料から、科学技術史や理工学の領域までにわたっています。台東区には江戸幕府の天文館も置かれていて、古くから科学に関する施設や人物が往来していました。昭和24年(1949年)に「東京科学博物館」から「国立科学博物館」となり、館長には、文学者中井英夫氏の父で、著名な植物学者であった中井猛之進氏が就いています。
日本館は、「日本列島の自然と私たち」をテーマとして、日本に関する自然史などの他、技術史、理工学などの多分野にわたっています。展示室は3階から成り、1階南翼「自然をみる技」には、「天を知る─天球儀・天文」、「地を知る─地震計」、「時を知る─時計」、「微小を知る─顕微鏡」の4つのコーナーに江戸期からの資料や機器が展示されています。

貞享暦(享保14年(1729)版)
江戸時代初期の天文暦学者渋川春海(はるみ、しゅんかい)によって編纂された、日本人の手による日本で初めての和暦の太陰太陽暦。「大和暦(やまとれき)」と呼ばれる貞享暦は、貞享2年(1685)より施行され、宝暦5年(1755)に改暦されるまで使用されました。渋川春海は、この功績により初代幕府天文方に任ぜられました。
寛政暦(寛政10年(1798)版)
宝暦暦に不備があったため、大阪の天文暦学者の麻田剛立一門の高橋至時(よしとき)、間重富らによって作られました。寛政10年(1798)より施行されました。

木製天球儀(上、天明6年(1786)頃)
旧宮崎延岡藩主内藤家に伝来した木球。表面に胡粉(ごふん)が塗られ、赤道や黄道が毛書きされています。


紙張子製天球儀(下、江戸時代後期(19世紀)頃)
谷津家に伝来した紙張子製天球儀で球部のみ残っています。経緯度線は距線のほか、西洋流に10度ごとの赤罫・赤緯線が記されています。黄道は、記載を誤っています。
渾天儀(こんてんぎ、江戸時代後期(19世紀)頃)
渾天儀は子午・地平環(かん)や赤道・黄道環などのいくつかの環からなる天文機器です。もともとは天体の位置を観測するものですが、これは教育用。
 
 

 日本館の屋上には、今も現役の古めかしい天文台があります。入口の傍らには、「貳拾糎(20センチ)赤道儀、設計製作及据付 日本光學工業株式会會社(略)、昭和六年十月竣工」、「赤道儀室、 水戸市 中村千代松氏寄附」の二葉の銘板がありました。また、天文台の周囲には、観覧に訪れた子供たちが書いたと思われる落書が残されていて、昭和21年や1950年などの年号や名前の幼い文字が読み取れます。

 

 
 日本館の屋上には、今も現役の古めかしい天文台があります。入口の傍らには、「貳拾糎(20センチ)赤道儀、設計製作及据付 日本光學工業株式会會社(略)、昭和六年十月竣工」、「赤道儀室、 水戸市 中村千代松氏寄附」の二葉の銘板がありました。また、天文台の周囲には、観覧に訪れた子供たちが書いたと思われる落書が残されていて、昭和21年や1950年などの年号や名前の幼い文字が読み取れます。