
旧東京音楽学校奏楽堂
旧東京音楽学校奏楽堂は、日本の近代化への黎明期とも言える時代、明治23年(1890)に日本初のオーディトリウム(演奏会場)として建てられました。永らくの年月を経て破損も大きく、解体取り壊しの意見や愛知県犬山市にある明治村への移転話もある中、日本の近代音楽発祥の地としての上野に残す運動によって、上野公園内に移設されました。その外観や室内からは、その永き歴史がしのばれます。

奏楽堂は、上野公園内の東京国立博物館や東京都美術館、そして東京藝術大学に隣接する閑静な地にあります。明治の風情を残した木造の建物は明治のロマンと共に懐かしさがよみがえります。

奏楽堂前には、同郷の彫刻家朝倉文夫の手による瀧廉太郎像が置かれています。瀧は「荒城の月」を作曲し、23歳の若さで夭折しました。郷里の大分県竹田市の岡城趾にも同じ像が置かれています。

奏楽堂正面の大屋根には、西洋と東洋の調和を象徴とした「ハープ」と「笙(しょう)の笛」、そして中央には大太鼓が配されたバロック様式の切妻飾りがあります。