2009年11月1日掲載
2009年11月1日掲載

不折は、一流のデザイナーでもありました。

 不折は、明治27年(1894)に画家浅井忠の仲介で正岡子規と出会い、新聞の挿絵を手掛けるようになりました。挿絵画家という新たな世界と共に子規との交流も始まりました。挿絵を経て画家としての認知度も高まり、明治の文豪達からの挿絵や装幀の依頼も請けるようになりました。島崎藤村、夏目漱石や伊藤左千夫らの代表作の挿絵なども手掛けています。

俳句雑誌「ホトトギス」表紙絵
「ホトトギス」は、明治30年(1897)に正岡子規の朋輩でもあった柳原極堂が松山において創刊した俳句雑誌で、表題は正岡の俳号「子規」(ほととぎすの異名)に因んでいます。
俳句雑誌「ホトトギス」表紙絵
児童雑誌「少年世界」、文芸雑誌「文藝倶楽部・梨園之春」表紙
「吾輩ハ猫デアル」初版本挿絵
夏目漱石(1867-1916)の「吾輩は猫である」明治38年(1905)、そして「坊っちゃん」は明治39年(1906)に「ホトトギス」に発表、掲載されました。
漱石居士書翰 下(三通目) 明治38年(1905)
夏目漱石が中村不折に宛てた手紙。日付は、明治38年10月29日。『吾輩は猫である』の初版が発売後わずか二十日あまりで売り切れたため、現在増刷中であること、そしてその人気は不折の挿絵のおかげであると述べています。

「真澄」商標

新宿中村屋
 

 

大坂家

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