2009年1月31日掲載
2009年1月31日掲載
 
 

下町風俗資料館

台東区立下町風俗資料館では、関東大震災前のいまだ古き良き江戸の風情をとどめた東京の下町の路地に囲まれた長屋、商家の家並みなどを再現しています。また台東区を中心とした地域にゆかりの資料や生活道具や玩具、年中行事に関連したものを展示しており、四季折々の下町の風情と暮らしを体感できます。(台東区上野公園2-1、JR上野駅しのばず口、京成上野駅そば)
 

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懐かしい駄菓子屋の店先では、瞬く間に子供の頃がよみがえります。軒下には、陳皮(ちんぴ、みかんの皮を干して薬用にもちいた)や酸漿(ほおずき)、大蒜(にんにく)や布海苔(ふのり、洗濯糊や洗髪にも使用)などが下げられています。

明治・大正・昭和のまちがありました。

 台東区は、明治・大正の頃までは、江戸の名残りが強くありましたが、大正12年(1923)の関東大震災、そして昭和20年(1945)の戦災により、そのほとんどの面影を失いました。また、昭和30年代後半の東京オリンピックを契機として、まちは再開発されて一段とその様相を変えてしまいました。このような江戸期から営々と築かれた文化、そして明治・大正・昭和の名残りが次々と失われつつある事から、庶民の歴史や生活、そしてその記憶を次の世代に伝える目的から、台東区立下町風俗資料館は昭和55年(1980)10月1日に閑寂な不忍池の畔に開館しました。


館内一階では、関東大震災以前の大正期の下町の一角が再現されています。懐かしい井戸端、そして洗濯途中の洗濯盥(たらい)、洗濯板、たわしなどが置かれています。鋳物製の手押しポンプは、明治末以降から普及しました。ブリキ管の先の木綿の袋は、ごみや鉄分を漉すための工夫でした。
竈(かまど)の脇には、薪(たきぎ)が置かれ、その脇にはごみ箱がありました。各戸のごみは、大正7年(1918)以降から東京市全域で公的に回収されるようになりました。路地には、ごみ箱が置かれるようになりました。井戸やごみ箱も、路地と同じように長屋の住人が共同使用していました。

長屋の台所には、七輪(しちりん)や水瓶(みずがめ)、飯櫃(めしびつ)などが置かれています。狭い空間が大変合理的に使われています。今にも、奥からおかみさんが立ち現れてくるようです。
路地の奥には、火鉢に置いて使う銅壷(湯沸かし)などを作り、修理する銅壷屋の仕事場がありました。住まいの一角で仕事をする居職(いじょく)の仕事場には、やっとこ、立て万力(まんりき)や炉がありました。

年老いた母と娘が営む駄菓子屋の居間の卓袱台(ちゃぶだい)、姫鏡台、針箱や絎台(くけだい)などから、つつましく簡素な生活が見えます。井戸や路地を共有したこのような長屋の暮らしから、下町独特の人情や気質が生まれました。

台所の板の間には、揚板(あげいた)があり、用具や食物の貯蔵庫にも使われていました。

銅壷職人の住まいには、桐箪笥、長火鉢などの他に、主人の手習いの三味線箱も見えます。

 

下町風俗資料館

台東区立下町風俗資料館では、関東大震災前のいまだ古き良き江戸の風情をとどめた東京の下町の路地に囲まれた長屋、商家の家並みなどを再現しています。また台東区を中心とした地域にゆかりの資料や生活道具や玩具、年中行事に関連したものを展示しており、四季折々の下町の風情と暮らしを体感できます。(台東区上野公園2-1、JR上野駅しのばず口、京成上野駅そば)
 
 

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年老いた母と娘が営む駄菓子屋の居間の卓袱台(ちゃぶだい)、姫鏡台、針箱や絎台(くけだい)などから、つつましく簡素な生活が見えます。井戸や路地を共有したこのような長屋の暮らしから、下町独特の人情や気質が生まれました。

台所の板の間には、揚板(あげいた)があり、用具や食物の貯蔵庫にも使われていました。

銅壷職人の住まいには、桐箪笥、長火鉢などの他に、主人の手習いの三味線箱も見えます。